「気づけば、毎日どこかに送ってる」
我が家の子どもたち、気づいたら習い事まみれです。
- 兄(小3):野球・水泳
- 妹(小1):野球・水泳・ダンス・ピアノ
そして私は、平日16時までパート。
家に帰ってきてからも、息つく暇もなく
荷物の準備、送り迎え、食事、洗濯、宿題の声かけ…。
もうスケジュールはパンパンで、
気づけば「今日はどこに誰を送るんだっけ?」と確認するだけで1日が終わりそうになります。
■ 平日のスケジュール、もはや仕事より多忙
- 月曜:兄の水泳。仕事帰りに急いで準備、送り。夕飯は後回し。
- 火曜:兄妹ダブル水泳。2人分の荷物と着替えでバタバタ。帰宅後はクタクタ。
- 水曜:妹のダンス。時間がずれているため、夕飯が毎回遅れがち。
- 木曜:兄の水泳迎え。行くだけだけど、1日働いた後に運転するのは正直しんどい。
- 金曜:妹のピアノ。短時間でも、その間に他のことが何もできないもどかしさ。
もう、火曜はほぼ確実にジョイフル or ほっともっと or 冷凍チャーハンの日。
「手作りじゃなくても怒られない日」と、自分に言い聞かせています。
■ 土日は「父担当」だけど、心がちょっと置いてけぼり
週末は兄妹ともに野球。
私は平日で疲れ果てているので、土日は主に父が担当しています。
もちろん、任せられる人がいるのは本当にありがたい。
でも、正直な気持ちを言えば——
「野球も、水泳も、全部ちゃんと見届けたい」。
どんな練習をしてるのか、どこで躓いてるのか、
どんな表情でがんばってるのか、
母である私もちゃんと知っていたい。
けど、それが叶わない日もある。
体力も気力も尽きて、「今日はパパお願い…」と頼むしかない日も、あります。
■ 習い事を全部やめたら、どれだけ楽になるんだろう
たまにふと思うんです。
「全部やめたら、どれだけ生活がラクになるんだろう」って。
だけどそのたびに、
「今しかできないことだから」
「やりたいって言ってるから」
って、また送り出してしまう自分がいます。
「しんどい」と「応援したい」が共存するこの感じ。
毎日その間を、揺れながら生きてます。
■ 「見届けたい」気持ち、それだけでここまで来た
水泳も、本当はバスで行き帰りできます。
でも、子どもが「車がいい」って言うから、
「じゃあ…」って、今日も車を出します。
割り切れたらどれだけ楽か。
でも結局私は、この子たちの“今”をちゃんと見ていたい。
宿題に苦戦している姿も、
練習で涙をこらえる後ろ姿も。
全部、そばで見ていたいんです。
それだけが原動力で、ここまできました。
■ それでも「尊い時間だった」って思えますように。
こんな毎日も、あと数年かもしれません。
きっと将来、私はこう思うと思うんです。
「あの頃は、本当に大変だったな」
「よく倒れなかったな」
「もう限界って、何回も思ったな」
でもその中に、
「でもあれは、ものすごく尊い時間だったな」
って思える記憶が、ちゃんと残っていてほしい。
何もかも完璧じゃなくていい。
冷食の夕飯でもいい。
スケジュールがぐちゃぐちゃでも、送迎が足りなくても。
今日も子どもたちの「やりたい」を叶えるために、
私はまた車を走らせます。
こちらの記事もおすすめ!

